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8/31 (金) 12:59 まで

当サイトでは大学生向けの記事もそれなりにあるので、よく言われる「最近の大学生は幼い」という話題もちょっと扱ってみようと思いました。
おそらく今回の記事で当サイトを見つけていただいた方は以下のような問題を抱えておられると思われます。
今回はこの2パターンに対して記事を書いていきます。
ところで最初に明らかにしないといけないのは、「実際に幼いのか」という点です。
幼いということは「幼くない」状態が期待されるわけで、そこと何らかのギャップがあれば「幼い」のでしょう。
とはいえ私は大学を離れて長いので、今の大学生の現状はよくわかりません。
そこで以下のサイトを参考に最近の大学生像をイメージしてみます。キャリアカウンセラーの方の話なのでおそらくそれほど外していないと思います。
(参考)インターンシップガイド, キャリアカウンセラーから見た、今と昔の学生の違い
まあ一昔前の「大人」の人とは価値観が違うという点は否定しきれません。
ただまあ冷静に書き出してみると「幼い」というより「昔の考え方と違う」という点が際立っているようにも見えます。
その点について冷静に考えてみることから始めます。
まあ私の愚痴になるのですが、私は十年以上前に大学生だったわけですが、その当時も「若者は馬鹿だ。クズだ。使えない」と言われていました。
メディアでも「社会人基礎力が足りない」=「幼すぎてバカ」みたいな論調でかなり言われていました。
「コミュ症」という造語が出始めたのも私の世代からだったと思います。
昔は今ほどメディアのコンプライアンスも厳しくなくて、要するに「昭和」の価値観を振りかざして部下をパワハラしても「まあヨソでやってることだから」「若い人には人権ないよね」「年功序列だし」みたいな価値観が蔓延し、現代の令和の価値観との狭間だったと記憶しています。
なんでこういう「若者いびり」が蔓延するかというと以下のような力学が働いています。
上の世代と下の世代の接点は「仕事」中心なので、「教えなくてもできる」のが上の世代にとって最も楽だから
です。
特に「思考の運び方」「常識」「コミュニケーションの考え方」というのは教えるのが非常に大変で時間がかかるスキルです。
つまり上の世代を考慮した下の世代の「配慮」がない、「上の世代と価値観を合わせられない」状態になると、この非常に教えるのが難しく時間がかかるスキルを教えなければいけなくなって、「そんなの無理ゲー」と上の世代がサジを投げてしまうわけです。
そもそもの話、上の世代は下の世代より十年も二十年も生きているわけですから、経験値が全く違うわけです。
そこと下の世代の「経験値ギャップ」を感じると「下の世代は幼い」となるわけです。
さらに「教えるのが嫌な時間の無い上の世代」がどうやってそれを解決するかというと以下のようになります。
およそ上の3パターンかなと思います。
ペナルティ法的解法というのは「出力を見てから制約に合っていれば合格。合っていなければ拒絶」という判断を繰り返して、制約を全部満たすものが現れるまでガチャを回す最適解探索アルゴリズムです。
どうやれば求める答えが得られるかわからないときに結果だけ見て「それは私の思い通りではない」として、その回答を拒絶して、アドバイスなく「もう一回やり直し」とチャレンジさせて、何万回かやればそのうち求める答えを引き当てるだろうという手法ですね。
この解法は実際の数理的な最適解探索アルゴリズムでもそれなりに答えが出る手法なのですが、いかんせんアドバイスとか指針がない状態でランダムサーチを繰り返す場合が多く、簡単な制約条件が3個とかの問題も数万回の試行を必要とすることが多く、コンピューターで一秒に何万回も計算できる問題なら有効ですけど、一回の試行に数日かかるような現実の仕事でこれをやると、永遠に答えが出ないという結果になりがちです。
私は昔高校のスポーツ系の部活に入部していたのですが、そこはもうすでに入部した時点で地元の有力選手を集めていた部活だったので、練習には参加させてもらえましたけど、失敗してもみんなの前で「お前は馬鹿だ」「やめてしまえ」と罵倒されるだけで、「ハイ!今後は失敗しないように誠心誠意努力します!」と大きな声で返事をすることで許されるみたいな部活でした。
結局の所監督が育てたい人材じゃないなら教えても無駄なわけで、そういう部活の運営になるわけです。
仕事でも罵倒される社員にあなたがなっている場合、そもそも期待されていないので「アドバイスしない」という関わりになるということもあるのではないかと愚考します。
そしてこの何度突き返しても求める答えが出ないという苛立ちから「なんで思ったようなことができないんだ!」という思考になって、その理由としてジェネレーションギャップという簡単なわかりやすい指標に行き着いて「最近の若者は幼くてクソだ」という主張になり、しかも年功序列で偉い上の世代のほうが多いので、誰もその都合の良い発想の飛躍を指摘できないという環境があるように思います。
根本の問題は収束に時間がかかりすぎる「ペナルティ法を使う」ということなのですが、そこを誰も指摘しないわけです。
自分では教える時間もモチベーションも無いので、外部のコンサルとかに部下の育成を投げる方法です。
ただこれは少なくても「できる人」をコンサルタントとして招くので、「アドバイス」は得られます。
ペナルティ法でアドバイスもない中で自分で研究論文を作り上げるみたいな高度な「苦行」「猛烈な努力」という一部の耐性のある人物しかクリアできないペナルティ法オンリーな職場よりは社員の技術の質が平均的に上がりやすいのでペナルティ法よりはマシかもしれません。
ただこれも根本のジェネレーションギャップは埋まらないままなので、上司の時代背景でだけ得られる特有の価値観を持っていないという感覚は上司に残り続け、そのギャップから「今の若者は幼くてクソだ」という主張をするのはおそらく止まらないでしょう。
ところでこの外部委託って誰がやるのでしょうか?
それこそが「大学」なんです。まあ社会人向けの企業コンサルタントも結構ありますが。
高校生という「子供」と社会人という「大人」の中間にある何かを教える場所。
企業は「そういう面倒なことは大学でやってよ」と大学に丸投げします。
大学は大学で「私達は学問を教えるのが仕事だから、そういう面倒なことは自主的にやってよ」と今度は学生の自助努力に丸投げします。
後述しますが、「社会人基礎力」とか「コミュニケーション力」とか「常識」というのは、大学の「お勉強」を一生懸命やっても身につきません。
バイトとか読書とかそういうもので「感情に関する経験値の量」を稼がないと身につかないので、自分でこういう努力をしたがらない学生は毎年相当数いますから、結局「思い通りにならない」学生が量産されて「幼い」という名目の元、ジェネレーションギャップが埋まらない、都合の良い新入社員が生産されないということになり「最近の若者は幼くてクソだ」という話に繋がっていきます。
もう教えるのもコストと時間がかかりすぎるから、都合の悪い社員が入社しちゃったらもう諦めて「幼いよね〜(バカバカバカ)」と難癖を付けて新入社員を精神的にいたぶって、辞めさせる方向に誘導して、都合の良い新入社員が入ってくるまでガチャを回し続ける、あるいは「限界まで壊れるまで使い倒して、壊れたら捨てて新しい社員で入れ替える」を繰り返す企業も一定数あります。
この傾向になると、本当に社会からドロップアウトしてしまうので、自分がターゲットになっていると感じたら冷静な判断と自分の人生に無理しないという寛容さで適切に対応する必要があります。気をつけましょう。
今の学力は「応用力」を問うのが中心で、そこに暗記も入ってくるような評価になっています。
応用力のほうが配点が高いですから、暗記耐性が強ければ上に行けたつまり大学に行けた世代と今の大学に入ってくる学生は根本的に頭の出来が違います。
言い換えれば「暗記が多少できなくても応用力が高ければ上に進める」仕組みですから、暗記という「根性と自分の時間を差し出す犠牲心」が物を言う「苦痛耐性」が高い学生が大学にあまり入ってこないということです。
そこで従来の価値観のように「苦痛耐性が高い」人材を大学生に求めると苦痛耐性は足りないけど、頭の回転と応用はきくような学生が多いですから、当然暗記という苦痛耐性で今のポジションを得た上の世代とはジェネレーションギャップを感じやすくなります。
人間は自分に無い能力を持っている人物を警戒します。
自分の影響の範疇に無いので、自分にない評価軸で評価されると自分のポジションが危うくなります。
そういうときに危うくなった人物がどう動くかと言うと、「相手の悪口を言いまくって評価を下げる」方向に動きます。
ここまで述べてきたように、上の世代と下の世代には差がかなりあるので、上の世代が持っている「苦痛耐性」「空気を読む力」「昭和と平成の思い出」が無いというところで勝負を仕掛けてきます。
結果「今の若者は幼い」という部分で上の世代が下の世代の下剋上を防ぐという構造になり、それは上の世代のどの現場でも生じるので社会全体で「若者(大学生)は幼い」という主張が優勢になります。
ただここまで述べたように、上の世代に足りない仕組みとエンジン(例えばITとAIと応用力)を鍛えられた若者世代をいかに活かすかというのが重要です。
減点方式で足りない部分だけいじめて、企業が喉から手を出してもほしい新しい時代を切り開くエンジンを使わないまま古いエンジンが最高と言って世界に勝負に出たら、まあ結果はお察しではありますけどね。
日本の教育の悪いところとして「足りない部分を攻撃して光る部分を伸ばさない」という文化があります。
これをいつまでもやっていると、昭和のホークソングの知識が無いから「若者はクソだ」という極論で上の世代のご機嫌をとっているだけの悲しい企業になってしまいます。
足りないところは時間をかけて教えてあげて、光る部分を伸ばすという相応の手間をかけてあげないと、技術継承とか企業維持は難しいのではないでしょうか。
昭和のドキュメンタリー映像とかを見ると「単純作業」を「量」で解決して給料をもらう構造が見えてきます。
現代は単純作業はバイトとかアウトソーシングの低賃金労働にして、本当にやりたい「高度」で「専門的」な仕事で利益を得るというモデルに変わってきています。
つまり昔より求められる能力の水準が高くなっているのに、学習期間は18歳までという同じ時間軸なんですね。
それで昔より高い能力を得ようとすると、昔当たり前に得られた能力を得る機会を犠牲にして目的の能力を伸ばすという当たり前の戦略になっていきます。
それで取りこぼした能力が「幼い」「常識がない」という主張に繋がっていくわけです。
若者を幼いと断じるのは勝手ですが、こういう当たり前の流れや原理を理解しておかないと、「昔の人ができたことが全てできて、なおかつ現代の高度で専門的な人物がほしい」という無茶苦茶な要求を学生に求めてうまくいかないとゴネる残念な企業になってしまいます。
ただ難しいのは応用力というのは普通の人に普通の教育をしてできるようにしようとやると習得に異常に時間がかかるということです。
それを量の理論でできるようにさせようとすると相当量の基礎を勉強する時間を犠牲にする必要があって、最低限の学力の担保ができなくなります。
現代の小学生にはびこる「え?これもできないの?」みたいな問題は、教えるノウハウが無いのに量で応用力っぽい能力を無理やりできるようにする傾向が根本にあるような気もしますし、こういう背景も含めて上の世代にとっての「常識的な能力」を学校の外で色々教えないと、数学の難問を解くために他の全ての学習機会を犠牲にするみたいな極論学生も多くいるという問題は解決しないように思います。
婚活、特にマッチングアプリと現代の採用試験というものには一定の共通点があります。
それは「全部平均以上の人材しか許さない」という基準値の持っていきかたです。
減点方式の究極系がコレです。
見た目平均以上、収入平均以上、子供好き平均以上、相手の親の優しさ度平均以上、趣味が完璧に合って、自分のやりたいことを束縛せずに応援してくれる。
マッチングアプリだから数打てば当たると考えて、常に恋人候補のガチャを回す。
これを採用に当てはめると「学力平均以上」「コミュニケーション能力平均以上」「語学平均以上」「育ちの良さ平均以上」「常識平均以上」「見た目平均以上」「頭の回転平均以上」「資格取得率平均以上」…。
まあ倍率1500倍とかの超有名企業ならこれでも理想の人材は得られるでしょうけど、普通の企業でこれをやると、「最近の若者にはいい人材がいないな〜」となります。
普通の企業が超大手にしか集まらない人材を集めてもそもそもエントリーしてこないという当たり前の結果になりがちです。
そしてここまで述べたように能力にデコボコがあるのが普通ですから、足りない部分にムズムズして「若者(大学生は)は幼い」という不満を言いまくる結果になります。
現代はYouTubeのVTuberの生配信を観ることのほうが、正直友達と旅行するより、手軽で楽しいです。
そういう文化に慣れた大学生にとって、友達がいないという批判は別に痛くも痒くもありません。
「オンラインで十分繋がりは得られるから制約ばかりで気苦労ばかりで友達というステータスのためだけの知り合いの数」が少なくても辛くないんです。
確かに友達が多いほうがいいでしょう。
そのほうがモテるでしょう。
でもそれよりも「付き合いたくない相手のために自分を犠牲にする」リスクと苦痛を受けないほうが自分にメリットがある、と判断する大学生が多いのだと思います。
確かに私が学生の頃は「ヤンキーっぽくて陰キャじゃない」のが非常に重要でした。
陰キャというのが市民権を得る前の時代だったので、「陰キャ=人間のクズ」とされて非常に陽キャのクラスメイトのオモチャにされていた記憶があります。
この時代の「陰キャはいじめられる対象だからそういうキャラでいるのは信じられない」という価値観を引きずっている30代〜40代くらいの「陽キャだった」大人にとって、今の若者は理解し難い「幼い」クズと判断されるのかもしれません。
ただこれも「精神エネルギーを効率的にやりくりして、仕事という高度なタスクに備える」当たり前の戦略が広く知れ渡った現れに過ぎないので、これを「幼い」というのは違うと思います。
恋愛に重きをおかないというのも特徴なのでしょうけど、よくよく統計を見ていくと、大学生の4割は付き合う相手がいます。
6割は恋愛していないと聞くと多いように思いますが、4割も付き合っていると考えると、別に危惧すべき状況には無いと思います。
身の回りの5人に2人が彼氏彼女持ちって、やっぱり大学生は青春してるなあって思いますもん。
就職してから収入が安定している相手を狙い撃ちにしたいのでしょう。大学生のうちは相手が就活で失敗するリスクも相応に高いですからね。
将来収入が高くないと判断したら捨てちゃう、見た目重視の戦略で、見た目の良い相手をキープしておくくらいの考えなんじゃないでしょうか?
5人に2人というのがまさしくそれで、「平均より見た目の良い人」って、そのくらいの統計になりそうじゃないですか?
昔は親から自立することが「偉いこと」と社会全体が後押しする必要がありました。
結局の所、親から離れることが良いことで、大人になっても親と深く関わるのは悪いことだと教えないと、高度経済成長期という価値観をうまく回せなかったわけです。
ところが右肩下がりみたいな現代の経済では、都市の中で都市に就職する若者が溢れています。
親世代が農家という家庭も非常に少なくなってきていて、経済的な自由が親の拒絶で達成されるということもありません。
なので、自分を一番助けてくれる仲間として親を扱ったほうが合理的です。
それが現代の大学生の価値観に繋がっていると思われます。
これも、現代は高度経済成長期でもないですし、極めて時代に則した合理的な判断なので、これを「幼い」と断じるのは無理があります。
私の経験から言うと、私にも「反抗期」はありませんでした。
その当時の感覚を書いてみると以下のようになります。
なんと言うかですね、時代時代に「親とはかくあるべき」みたいな価値観ってあると思うんですよ。
昭和とは農村の人々が都市に出ていく時代でした。
農村の過酷な農作業を手伝わせて家の畑を継いでもらう「要員」というのが子供の役割です。
子供が勉強したいと言っても「家が貧しいのに何言ってんだ」という感じ。
上で述べたように社会全体として高度経済成長期を支えないといけないので、「農村から出る」=「親(農村)から出る」という刷り込みで親を拒絶させて都会に農家以外の職でたくさん働いてもらう必要がありました。
なのでその親の拒絶を「反抗期」という言葉で表現して、自分(都市のキラキラした生活への憧れ)を田舎に引き戻そうとする親を拒絶させるのがいいことだ、みたいに持っていったように思います。
現代はそもそも農村出身の子供が少ないですから、親を拒絶する意味がないわけですね。
そこがまず反抗期が少なくなる原因だと思います。
平成は一言で言うと「スラム文化と不良がかっこいい」という文化です。
ギャルも不良も「とやかくいう大人からの自由」の象徴です。
平成は学歴社会ですから、親は「勉強しろ」「いい成績をとれ」「遊ぶな」という圧力を親がかけてきます。
今でこそこういう一方通行な圧力で子供の学力が上がるわけではないということがある程度明らかになっていますが、昔は親を教育する機会がないので、ペナルティ法的に「うまくいかないなら怒ればいい」という単純原理で子供を叱ってうまくいくまで「やり直し」をさせる親が多かったと思います。
そういう意味のない理不尽からの自由が「不良とギャル」だったわけです。
親にすればどうすれば成績が良くなるかわからないわけで、「成績が悪いからお小遣いなし!」「成績が悪いからおやつなし!」みたいに「ペナルティ」を与えて目的の状態(成績が良い)を目指すしかありませんでした。
そういう理不尽に対する自由として「反抗期」(ギャル・不良)があったわけです。
現代はネットを探せば勉強に関する「ベストプラクティス」が山のように見つかります。
親よりも優秀なAIに誰でもアクセスできます。
そういう時代においてわざわざ親に反抗する動機というのは薄れているのではないでしょうか。
アドバイスできない親に期待するよりネットで答えを探しちゃおうみたいな。反抗して親を動かすメリットあんまりないな、みたいな。
令和は社会がより複雑になった社会です。単純な学歴だけでは上位に行けず、ネットいじめ、闇バイト、詐欺なども高度化しています。
そのような社会において、「親を拒絶して不良になるのは自分の破滅への入口」であると現代の子供はわかっているのではないでしょうか?
そのような社会において、標となるのは「親」だと思います。それなのにどうして親を拒絶できるでしょうか?
拒絶=破滅なわけで、親を味方として扱ったほうが合理的です。
またそもそも私の経験からも考えられるのですが、普通は企業も相手の味方をしなかったら支援もなくなり潰し合いの対象になります。
親を拒絶して無視したり反抗したら普通の感覚では「生活費なし」「お小遣いなし」「食事なし」「学費なし」という子供の生活が崩壊する結果になるはずです。
反抗してもこれらが保証されているというのはある意味「最高の甘え」ではないでしょうか?
自分は対価を払わずに「逆ペナルティ法」で反抗するだけで目的の状態が得られるのは最高の「楽」ですよね。
そういう部分に気づいているのが、つまりそういう甘えでは問題が解決しないとわかっている賢い子どもたちが令和の子供なんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。
これは大人世代と大学生世代双方の言い分がよくわかります。
大人世代としては色々チャレンジしてもらわないと、会社の業績が上がらないし、マニュアルだけきちんとやる人材だけでは企業は成長しないという喫緊の危機感があります。
とはいえ、現代の若者にとっては「失敗したら袋叩きに合う」という状況をSNSやテレビで頻繁に目にしています。
失敗して袋叩きにあって再起不能にされるくらいなら、失敗を避けたほうがいい、というのもある意味合理的です。
ただ私のように古い人間にとっては「チャレンジや自分で導き出した判断やアイディアは失敗のリスクを下げる工夫の元、実行に移して経験にしたほうがいい」と言いたいですね。
今はインプットより、自分でやってみた「アウトプット」を作って、それを修正していくみたいなやり方のほうが色々な知識が身につくと言われています。
こういう視点で見ると、みんなの言うとおりにしているうちは、失敗もないけど、みんなに与えられる分の成功しか自分に入ってこないので、みんなが平均以上のメリットを享受しているうちはいいですけど、うまみが少なくなって平均同士の潰し合いになってしまうと、とたんにみんなといっしょの恩恵が得られなくなります。
この潰し合い状態で生き残るためにはやはり色々な挑戦をして自分だけの知識を持っているのが大きなアドバンテージになります。
ただこれは幼いというより、チャレンジの仕方を教えてこなかった周りにも責任があるような気がします。そもそもそんなに失敗を恐れずチャレンジを繰り返す人って大人にもそんなにいないです。
あえて言うなら、大人世代が若者世代を「人柱」にして、そのおこぼれをかっさらう名目で「若者はチャレンジしない」と批判して、自分の手を汚さずにチャレンジの恩恵を得ようとしているようにも見えます。
教えれば出来るようになる類のスキルですから、自分に足りないと思ったら、努力して身につけましょう。周りにバレたくないなら、こっそりと身につければいいだけです。
ここまではどちらかと言うと、「大人世代の理不尽さ」に焦点を当ててきましたが、若者世代が幼くないのかというと必ずしも幼い部分が無いとは言い切れない面があります。
私はSNSで大学生の人と接点がかすかにあるのですが、そこをじーっと見ていると、「誇大した自尊心」「正論パンチ苦手」みたいな傾向が無いわけでもないです。
なんというか、現代の大学生の人って「自分はできないことが多いけど、上の世代より偉い」みたいな感覚があるみたいなんですよね。
社会一般のZ世代の扱いを見ていてもそういう傾向が見て取れます。
なんというか、Z世代を社会全体で「この時代に生まれただけですごい人」みたいに扱っちゃてるのが問題な気がします。
まあでもいくら言っても馬の耳に念仏とか暖簾に腕押しみたいになってしまうので、Z世代が中年になったくらいで苦労するしかないんじゃないでしょうか?
中年になったときにアドバイスしてくれる人ってたぶん今あなたが「お前より俺のほうが偉い」って突き放した大人の人だと思うんですけどね。
あ、もちろん話を聞いてくれるすばらしい大学生もいっぱいいるということを付け加えておきますよ!
まあだからこの話も「一部の目立つ欠点」として私の減点方式に引っかかってるだけかもしれませんね!
なんとなく世の流れ的にZ世代をすごいと言わないといけないというのはわかるんですけどね。
わたし位の平成初期世代くらいだと漫画やアニメは「できない人が運命に導かれてある日いきなり物語の主人公になって大成功」というストーリーを強く強く刷り込む時代でした。
できる人が成功するストーリーだとその他大勢の普通の人は主人公を夢見れない。
だから物語を売るために誰でも感情移入できる「できない人」の成功ストーリーを刷り込んでいました。
それ故多くの人は「自分は主人公になりたい」故に「むしろ出来ない人じゃないといけない」と誘導されたはずです。
でもそれでは社会は前に進みません。
だから「主人公=できる人」つまりそのためには「誰しもが」有能であると逆に刷り込む必要がある。
それが「新しい時代に生まれた」=「それだけで有能」というストーリーを刷り込むことに繋がります。
そしてそれこそが「その時代に生まれただけでその他大勢より有能なZ世代」という刷り込みに繋がっているのでしょう。
上の世代は出来ない人で刷り込んだからそこはそのままにしておいて、下の世代が無条件で有能と刷り込めば上の世代とバッティングしないでしょ、ちょうどいいじゃんって感じなんでしょうねぇ。
上の世代は出来ない人でいたい、下の世代は出来る人でいたい。
すると出来る人でいたいという椅子取りゲームがあまり起きずに出来る人の椅子にストンと競争なく座れるでしょ、みたいな。
まあその簡単に座れるできる人の椅子が完全なノーリスクなのかはよく考えた方がいいですけどね。
給料と肩書は良くなっても家庭崩壊みたいになる椅子もいっぱいありますし。
上で「18年という修行期間は変わらないのに求められる能力が高度になったら、何かを犠牲にして求められる能力を身につけるしか無い」って言いました。
これに繋がるのですが、この「取りこぼしたスキル」に大人になって持ってないと致命的なスキルがあります。
それが「脳の成長」です。
特に受験勉強だけ得意だった系の人材。
私もそうだったんですけど、大学の修士過程まで試験で突破できる学力はあったんですよ。
勉強は得意だったわけです。
でも社会に出て「思考力」とか「常識」とか「他人の感情を読む」のが致命的にダメで、非常に苦労しました。
学校(大学)にいるうちは受験勉強、5教科7科目の延長に適性があれば卒業まで行けてしまいます。
しかし学校ではまったく教えてくれないのがこういう「感情」系の能力。EQと言われたりします。
このEQ関係の能力、実は学力より収入に直結するらしく、上に行けばいくほど、下にいればいるほど重要な能力になります。
これ、友達とか自分より上の世代の中で揉まれながら試行錯誤して身につける必要があって、現代の合理的な大学生の思考だと、身につける機会がないんですよ。
できればバイトして「ああ、良くも悪くもこういう思考の人がいるんだ〜」と経験を積むのが一番いいんですけど、それだけだと時間がかかりすぎるので、「小説を読む」というのをおすすめしたいです。
これは実際に私が30代後半で「なんか昔と変わったよね」と自他ともに認める状態になったときに実際に効果があったので、おそらく正しいです。
どうやるかというと、毎日40〜50ページ、色々なジャンルの小説を「こういう出来事や言葉で人間はこういう感情になる」というのを意識して読むこと。
これって結局EQの鍛錬になるので、「空気が読めるようになる」し「常識的思考」も身につくし、いいことしかありません。
紙で読んでも電子書籍で読んでもいいので、習慣にしてみると、特に「本当に幼い」という危機感がある人には効果があると思います。
色々書いてきましたが、私の意見としては「幼い」という大人世代の愚痴はほとんどが気にする必要がないものです。
逆に言うと、「幼い…だからこうしましょう」という主張とセットになっていない若者批判は原因の究明の手間や教育コストをかけたくない楽をしたい大人のズル(下手なペナルティ法)でしかありません。
なので諦めたり、自分を責めたりせずに、今から自分が足りないと感じている幼さを克服していけばいいだけです。
私は大学のときに「中学生」みたいな大人でした。
テストの暗記だけやって、残った時間をゲームに溶かすような大学生だったんです。
でも周りの大学生に比べて明らかに「幼稚」「考えが合わない」と感じて、それから必死に努力しました。
ここからはどうやって自分で「幼稚」じゃないと思える状態に至ったのかということを書いていきます。
学校の勉強で思考力に最も直結するのは国語です。
他の科目は全て「暗記」でなんとかなります。
応用力を問う問題が最近は重視されていますが、それも結局「高校より進んだ大学の知識を持っているか」という暗記だったりします。
でもどうやっても暗記で解決できないのが国語です。
私はこの国語ができない状態で大学へ入学しました。昔のセンター試験(現代の共通テスト)では平均以上は取れていたにもかかわらずです。
大学に入学してから、この国語に自分の問題の起源があると感じてそこをどうすれば克服できるか、試行錯誤しました。
結果として以下の気づきを得ました。
上の気づきを見て「で、これの何が大事なの?」と思うかと思います。
なぜこれが大事なのかという話をしていきます。
まず幼稚さを克服するためには「多様な状況で脳の対処力を上げる」必要があります。
世の中は5教科7科目の延長でできているほど簡単ではありません。
学校の勉強だけでは明らかに対処力不足で、それゆえのつまづきが「幼さ」と周りに判断される原因です。
この対処力は事例一つ一つで「研究」しないと答えがわかりません。
そして研究というのは以下の4つのパーツでできています。Google Scholarとかで論文を検索してみるとわかりやすいです。
この型に入れてつまづきを「研究する」のが重要です。要するにレポートを作るということです。
この型に入れれば文章の論理性が上がります。
そしてこの論理性を高めた文章をたくさん書くと「問題の切り分け」ができます。
大人が「幼い」と言っている「真因」は何かというのが見えるようになります。
真因が「若者がうざいだけ」なのか「ほんとうにどこかに問題があるのか」がわかるようになります。
真因に改善できる点があれば実験や調査で解決していきます。
ただし文章を正しく書くには「正しい文章のストック」が頭にないとできません。
これは様々なジャンルの本を読んで正しい文章のストックをたくさん頭に入れるしかありません。
というわけで以下の努力が必要です。
せっかく大学にいるのだから、レポートはたくさん書いているでしょう。
そこでそれを応用して上のレポートの書き方を参考に、自分の幼さに関して調べてまとめて論理的に答えを出すことを繰り返していけば、自ずと「穴」は埋まっていきます。
やることなすことの半分が「幼稚」と言われる人と、地道に穴を潰して10%だけ「幼稚」と言われる人はどちらが良いかと言われれば明らかに後者ですよね。
幼稚さと評価される真因は実に多種多様です。
これを一つずつ地道に解決していくのが重要です。
気になったトピックの本をたくさん読むだけでも答えが見つかることが多いですし、読書の量が多ければあなたオリジナルの幼稚さの研究レポートを書く能力も向上していきます。
卒論の執筆もかなり楽になります。卒論は規模の大きなレポートだからです。
AIだっておそらく日常的に使っているのでしょう。AIのリサーチ力も参考に、筋の通った「答え」を出す訓練をしてください。
このアドバイスであなたの大学生活が良くなることをお祈りしております。
なおAIレポートはAI出力の真偽をちゃんと裏取りしながら進めないと「AIに乗せられて気持ちよくなってるだけ」のレポートになるので注意しましょう。
あくまで「事実」の積み重ねで作ったレポートに最も価値があります。
大学生向けのタブレットの記事色々書いているので、電子書籍で読書したいなら参考にしてみてください。
今回は「最近の大学生は幼い」という話題の解説でした。
私の半生の愚痴みたいになってしまいましたが、何かのきっかけや参考になりましたら幸いです。



何回も書いたように現代の大学生に求められる能力は多岐で高度なので全部やろうとしないことも大切です。半生をかけて最終的にここまで到達するみたいな計画が重要だったりします